記憶に残る "海外" ・・・・ モン・サン・ミッシェル

ネタに窮し、またぞろ "海外" の想い出話しです。

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フランス北西部、英仏海峡に面したノルマンディー (Normandie) 地方にあって、海岸線から約 1 km 沖に突き出た岩山の上に築かれた修道院で、1979年に世界遺産に登録されたモン・サン・ミッシェル (Mont Saint-Mishel)。









一人旅が多かった海外出張ですが、この時 (1997年6月) は、フィンランドの砕石機械メーカーの日本法人に勤めていて、英国のヒルヘッド (Hillhead) で開催された砕石機械展示会とフランス工場の客先 (砕石プラント) の見学を兼ねた、"お客様" グループの観光ツアーに通訳を兼ねて同行しました。

昼間のモン・サン・ミッシェルは、(パリからの) 日帰り観光客でまさに門前市を成す賑わい。 左下の写真は、当時我が家にいた愛犬にそっくりのウエスティを見掛け、写真を撮らせて貰ったもの。 また、右下の写真は、モン・サン・ミッシェル名物、ふわふわの "オムレツ"。

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モン・サン・ミッシェル近くのホテルに泊まったので、陽が落ちてから再び訪れてみました。

昼間の賑わいが嘘のように静まり返っています。

























長い階段を登った先にある修道院の中は、大聖堂のような装飾は一切無く、修行の場を思わせる簡素な造りでした。 左下は修道士たちの食堂だった所。 右は ・・・・・・・ 忘れましたが、何か厳粛な雰囲気が漂っていました。

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富士山と同じで(?)、一度は行ってみる価値のある所、でも二度行くまでもない所でしょうか!
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記憶に残る "海外" ・・・・ フィンランドの白夜

梅雨が明け、うっとおしい夏が押し寄せてきました。この蒸し暑さは嫌いなものの一つで、東京から逃げ出したくなります。 そして思い出すのが北欧の白夜です。 本当の "白夜" とは、一晩中お日様が見えている状態を言い、北欧でもかなり北に行かないと体験できない ・・・・・ とカタイことを仰る方もいますが、フィンランド (Finland) のタンペレ (Tampere) でも一晩中空が白々としていて、十分 "白夜" の雰囲気を味わえます。

1994年から約 9年間、タンペレに本拠を持つノードバーグ (Nordberg; 現在は Metso Minerals) グループの日本法人に勤務していて、フィンランドにも何回か訪れました。

フィンランドは、大地が氷河によって削り取られた緩やかな勾配の国土に数万とも十数万とも言われる数の湖や沼が点在し、「森と湖の国」 と呼ばれています。 ちなみに人口はたった 520万人です。 タンペレは、ヘルシンキ (Helsinki) の北西 約 160 km に位置する人口 約 20 万人の、フィンランド第 2 の (とも第 3 とも言われている) 工業都市であり、"ムーミン" の作者:トーベ・ヤンソンが自身の作品を寄贈し展示している 「ムーミン谷博物館」 があることでも知られています。

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たまたまタンペレに滞在していた 7月初旬のある夜の午前零時過ぎ、かすかに聞こえてくる楽しげな話声や笑い声が気になって、ホテルから歩いて 15分程の湖のほとりに行ってみると、










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何人かの高校生たちが談笑していました。















断ってカメラを向けるとにこやかに応じてくれました。

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また、こんな風にポーズを取ってくれる男の子達もいました。


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でも、やはりカメラは可愛い女の子の方に向いてしまいます。 (クリックすると画像が拡大されます。)

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なにやら男子禁制の(?)お喋りにふける女の子たちもいました。















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湖畔で何かに興じている連中もいましたが、皆 自由でいながら自立心を持っているような健やかな印象を持ちました ・・・・・ と言うのは少し褒め過ぎでしょうか?












記憶に残る "海外" ・・・・・ 南米コロンビア・ボコタ 空港でのスリ被害

もう一つの後味の悪い思い出は、南米コロンビア (Colombia)・ボコタ (Bogota) 空港で財布をすられ、有り金 (現金 + T/C + ケレジットカード) 全て失くしてしまったことです。

1984年11月10日、コロンビア第2の都市:メデジン (Medellin) での仕事を終え、帰途ストックホルムにある アトラス・コプコ (Atlas Copco) の本社を訪れるべく、
0707_1_Bogota AP_1ボコタ国際空港で搭乗手続きをしていた時、(2段になった高いカウンターの向こうの) 女性スタッフにパスポートとエア・チケットを渡すと、「入国時に渡されているエビデンスを見せて下さい」 と言われ、(何のことかよくわからないまま) ポケットから財布を出してあらためても見当たらないので、その財布を目の前のカウンターに置き、上着の別のポケットを探そうとした瞬間、直ぐ後ろに並んでいた年配の婦人が何か叫びながら私の腕を引っ張ります。



指差された方をみると10歳位の少年が駆け去って行くのが見えました。 急いで後を追い掛けましたが後の祭りです。 街中では用心していたのですが、空港のカウンターということでつい気を緩めたのは迂闊でした。

0707_1_Bogota AP_2その後、改めてターミナル内を観察してみると、少年を連れた、どう見ても空港ターミナルにそぐわない "やから" がうろついているのがわかりました。 (現在ではこのスペースに旅客以外立ち入られないようです。)

一旦は、盗難届を出すためにフライトをキャンセルすることも考えましたが、土曜日だったことと諸事おおざっぱなこの国の状況からそれを諦め、予定通りニューヨークに向かいました。 ニューヨークでの乗換え (transfer) の時間に余裕がなかったので、ロンドンでの乗換えの時に自宅にコレクトコールし、T/C とクレジット・カードの盗難届および送金を依頼しストックホルムに向かった次第です。


このときの出張旅行では、9つのエアラインを乗り継ぎ、3 週間で世界を一周したことになります。

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11月17日に帰国後、九州の肥後トンネル工事現場への国内出張等をこなし、翌月 (12月2日) にはインドネシアとシンガポールへの2週間余りの出張に出発。 思えば当時我が家は "母子家庭状態" でした。

記憶に残る "海外" ・・・・・ JFK 空港での恐喝被害

楽しかった思い出の多いヨーロッパに比べて、アメリカでは余りいい思い出がありません。

その一つは、ニューヨークのジョン・エフ・ケネディ空港 (JFK Airport) での拉致(?)恐喝被害です。

アトラスコプコ社 ( Atlas Copco) に勤めていた 1985年10月。 日本の大手ゼネコンが南米コロンビアでの水力発電所工事に使っていたトンネル掘削機械の技術サポートで出張した折、(コロンビアへの直行便はないので) ニューヨークの JFK 空港に着き、近くのホテル (JFK Plaza Hotel) に向かうべく、独りでホテルの送迎用コーチを待っていましたが、午前零時を回っていたせいか30分待っても来て呉れませんでした。

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現場の客先スタッフへの土産を詰め込んだ私物スーツケースの他に、50~60kgの部品を入れたスーツケース2つを抱えて歩くのもままならず、暫くは声を掛けてくる胡散臭そうな "やから" を無視していましたが、身分証明書(?)を見せ 「私は認可を受けているものですからご安心を」 と近づいてきた男に、「まあ、少々ぼられても仕方がないか」 と乗り込みました。




当時の JFK Plaza Hotel は無くなっている (オーナーが代わっている?) ようで、この写真は同じ Plaza の名前を持つ Hotel の HP からのものです。

所が、その "タクシー" はニューヨーク市街に向かうハイウエイに入ってしまうではありませんか。 慌てて、「違う! あそこに見える "JFK Plaza Hotel" だよ」 と抗議すると、男は、「あんたは、市内の Plaza Hotel と言った」 と言い返します (車が走り出して直ぐに Hotel が見え、それを指し示しているのですから間違う筈がありません)。 

やっとハイウエイを降りて戻ってくれましたが、ホテルの手前 500m 程の寂しい所で車を停め、500ドル (当時は1ドル約240円) 払えと言います。 渋っていると何処かに向かう素振りを見せるので、泣き落とし作戦に出て何とか 200ドル払うことで相手も矛を収め、ホテルから 50m も離れた所で降ろされました。 そこから重いスーツケースを 3つも引きずって何とかホテルに辿り着いた次第。

ホテルのフロントで、「迎えにきてくれないからひどい目に会った」 と苦情を言うと、セキュリティ (security; 日本で言うガードマン) が警察に連絡して呉れました。 直ぐに 「ポリスが来た」 との電話で降りていきましたが、ジーンズ姿の 2人連れで車も全く "警察らしく" なく、また騙されるのではと不安に思ってセキュリティに 「彼ら、本当にポリスなの?」 と確認したほどです。

空港警察に行くと、直ぐに 「この中に "そやつ" はいるか」 と数人の顔写真を見せられました。 いました ・・・・・ 常習犯だったんですね~!

「わかった。 運が良ければ、あなたが日本に帰る頃(2週間後)には、お金を戻してあげるよ」 と言われましたが、その時は全く当てにしていませんでした。

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所がなんと、2週間後に帰国してから 4~5日経った或る日、USA から航空便が!

200ドルの Money Order (郵便為替) に添えて、「貴方の被害届に従い、被疑者を特定しその被害を確認しました。 遠隔地につき告訴手続きに来て頂くのは難しいでしょうから、申告のあった 200ドルをお送りし、本件を終結します。 I trust this meet with your satisfaction. (満足して頂けるものと信じております。)」 との Detective (刑事) のレターが入っていました。

いや~ 感激しました。 お金が戻ってきたこと以上に、"通りすがりの外国人のぼったくり被害" をきちんとフォローしてくれたことに! (勿論、折り返し丁重な礼状を送りました。)

それまで、「アメリカの警察なんて当てにならないのでは ・・・」 と根拠もなく漠然とした不信感を抱いていたのを反省すると同時に、日本で、「タクシー代を 5 万円もふんだくられました」 と届け出て、どれだけ "本気" でやって貰えるのか考えてしまいました。







記憶に残る "海外" ・・・・・ ストックホルム (その2)

ストックホルム (Stockholm) のもう一つ思い出は "クレイフィッシュ (Crayfish) パーティ" です。

1976年に、当時神戸で勤務していたガデリウス社 (明治40年にスエーデン人クヌート・ガデリウスが横浜で創業した機械商社で、東京本社の商社部門に加え、神戸を中心にライセンス生産を展開をしていました。 現在はフランス系 ALSTOM 傘下のアルストロム社) がスエーデンのフレクト社の傘下に入り、そのフレクト社から招待されたメンバーの一員として初めてスエーデンを訪問しました。

ホテルはストックホルム宮殿真向かいのグランドホテル、地方にある工場訪問にはプライベート・ジェットでという大名旅行でしたが、もてなしの一つがクレイフィッシュ・パーティだったと言う訳でした。 "クレイフィッシュ" とはつまり "ざりがに" のことですが、彼の地では "高級食材" で 8月に解禁になるのを待って、茹でた "ざりがに" を皿一杯に盛り上げ、こうしてパーティを催すとのこと。

0701_1Crayfish Party_1 0701_2_Crayfish Party_2

クレイフィッシュ・パーティ用の (スエーデン語の) 歌集まで配られました。
「待ちに待ったこの日が来た。 さ~あ、"ざりがに" を食べられるぞ!」 という喜びの歌らしいです。

0701_3_Crayfish Party_3 0701_4_Crayfish Party_4

食べるのを躊躇していると、隣の Swedish が 「こうやって食べるんだよ」 と言いつつ頭と胴体を二つに折って、中のスープをチューチューと吸い、次に専用のフォーク(スプーン?)で身をほじくって ・・・・ と実演してくれます。

が、私は相当な 「悪イメージ食物・拒食症」 で、泥の中で生息すると思っただけで喉を通りません。 結局、2~3匹食べるまねごとをして済ませましたが ・・・・・



別の、素晴らしい思い出の一つは、豪華客船でのバルト海の船旅です。

2度目に研修でストックホルムを訪問した折、週末を利用してストックホルムからフィンランド自治領オーランド島までバイキング・ライン (VIKING LINE) の大型客船で船旅をしました。 驚いたのは、この大型客船が一大スーパーマーケットのようで、酒やタバコなどを皆 (帰着時の) 持ち込み制限一杯まで買い込んでいて、その熱気に圧倒されたことです。

ストックホルムに帰ってスエーデン人の知人に、「バイキング・ラインじゃなくシリア・ライン (SILJA LINE) に乗らなければ駄目よ」 と言われ、一緒にその翌週またオーランド (Åland) に行ってきました。

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     バイキング・ライン                 シリア・ライン

        (但し、これら客船の写真は近年撮ったものです。)


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確かに、大衆的なバイキング・ラインと違ってシリア・ラインの客船は豪華ホテルのようで、設備も素晴らしく食事 (日本でバイキングと呼ばれる "スモーガスボード" で、好きなものを選んで食べられるスタイル) も充実していて、明らかな 「差」 を思い知らされました。

朝ストックホルムに近づくと、アーキペラゴ (archipelago;群島) の島々を縫うように進み、素晴らしい景色を楽しむことができます。






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